散髪

2024/05/24

私は散髪が苦手である。近頃は長くとも二カ月は開けないようにしているが、兎に角散髪が苦手である。

美容師のことが良く分からないのだ。どんな物を食べてどんな家に住んでいて、休日は何をしているのかとか、基本的な物事の輪郭が欠落している。
彼らは最先端の会話エージェントを内蔵していて、私の身の回りのことを玉ねぎの皮を剥くみたいにあれこれ尋ねてくる。おいくつなんですか、とか、サークルは何をされているんですか、とか、恋人はいるんですか、とか。
しかしながら、彼らは決して自分語りをしてはくれない。世の中ににおいては、質問をされたからといって、同じことを相手に聞いて良いとは限らないのだ。

美容師が私を見る目はどこか怯えているようである。つまり、微笑しているのだ。私は決まって目を瞑って、坐禅の手を結んでいる。微笑はとても怖いのである。なぜなら、それは完全な無表情だからだ。鉄壁の後ろにある得体の知れない何者かが、私のことをじっと小さな穴から覗いているのだと思う。私は何も見ないことによって何者かを意識の隅に退ける努力をする。何も考えてはいけない。何も想像してはいけない。微笑とはそれくらい恐ろしいものである。

私はなるべく酷い髪型で美容室へ行くようにしている。櫛が通らなくてもいいし、寝癖があってもいい。美容室とはただ髪を切られるためのものであるし、それ以上の可能性は存在しない。匿名的な社会性を手に入れるための儀式なのである。

家に帰ると決まって鏡を見るが、鏡の前にいる人間は誰なのか良く分からなくなる。それは私が毎朝整えるどんな髪型よりもまともなように見える。